日之影町中川地区のチューリップに関わり始めて10数年。
初めてお手伝いに来たのは、私とY野さん親子の3人だった様に記憶しています。
続けるうちにここのチューリップも認知度が上がり、この時期にはテレビの春を告げる恒例のニュースとなり、新聞社のカレンダーを飾ったりと、桜に負けず劣らずの1ページを、宮崎の春の1ページを飾れるほどになっています。
世帯数8戸の集落での取組。
地域の方々と色んな話をしながら、一緒にやってきました。
先日、『消滅可能性都市』が10年ぶりに発表されました。
10年前も今回も日之影町は『消滅可能性都市』に入っています。
『消滅可能性都市』に関しては、色んな立場の人の色んな意見を見聞きします。
チューリップの球根を掘りながら、“私たちが一緒に始めた頃”、“消滅可能性が初めて発表された10年前”、そして“今”を頭の中で行ったり来たりしながら考えました。
この取組、作業、関わる人、仕組み、これまでの変遷、経緯、発せられる言葉、立場のある方々の挨拶など、諸々の“これまで”を考え合わせて、“今”に向き合い考えます。
地域の取組は色々、当然その意味も色々。