中ノ又神楽のお手伝い その2~宮崎県木城町~

木城町中之又地区の中之又神社の神楽のお手伝いに行ってきました。

コロナの影響で昨年は縮小しての開催でしたが、今年は三十三番の夜神楽が奉納されました。

昨年からコロナ予防対策を取り入れての開催となりそちらにも人手がいることとなり、私たち【九州つなぎ隊】は準備のお手伝いと手分けして検温や入場者の把握などのコロナ対策を行いました。

よそ者の私たちがやることでいい具合に“遠慮”の力が働き地元の方もきちんと対応してくださり、昨年に続きとてもスムーズに行うことができました。

今年は暖かく天候にも恵まれ、穏やかな夜神楽となり心地良い時間となりました。

振り返ると私たちがこういったスタイルで中山間地域に関わり出したのが平成21年からで12年が経過しています。

コロナ禍で昨年今年と行事が中止になったことで活動数が減りましたが、時間に余裕ができたので10年を振り返ってこの活動のあり様やこれからについて考えてみました。

そういう意味では10年ひと昔といいますが、いいタイミングで考える時間を与えてもらったなと思っています。

それを踏まえて今回の活動については自分たちの立ち位置と手伝い方などを意識してそして変えて取組んでみました。

コロナ対策という新たなことも増えたことやこれは臨時的なことではなく、今後はノーマルになると考えていた方がいいわけで、それも踏まえてのことでした。

関わり方について意識したのは『継続』と『持続可能』ということです。『継続』は今までを続けることというイメージでしょうか。

では『持続可能』となるとどうなのでしょう。

『持続可能』、流行り言葉の様なイメージすらあるSDGsは「持続可能な開発目標」です。

この中での環境のところでは二酸化炭素の削減がありますが、その取組でも「排出」についての取組と「回収」という取組があります。

『持続可能』には色んな方法があって、そこには「変化」なのか「進化」なのか、「今まで通りではない」という前提の取組があります。

しかし、「継続」となると「今まで通り」が前提となってそれを守るためにどうするかといったイメージが湧いてきます。

今回は『持続可能』をイメージして取組んでみました。

パッと見分からないと思いますし、みなさん気付いていないと思いますが、意識してこれまでとは変えてみました。

今はいい感触を持っています。

今回の根っこにあるのは、何故何のためにこの活動をしているのか、その意味や目指すものは、というところを10年目にしてこの間の社会や地域の変化も踏まえて考えたいというところにあります。

私は防犯の取組もしていますが、学校の安全対策については私が関わっているところ以外は学校安全の取組として侵入者、犯罪者を捕まえる訓練をしています。

これはどうなのでしょうか。

本来学校は安全な場所であって欲しいわけで、まず考えなければいけないのは

「そういうことが起こらないためにどうするのか」

がメインで子どもたちの安全を考えれば大人たちはここに力を注ぐ必要があると思います。

しかし、そのための知識の習得などは端折られていきなり捕まえる訓練になっているわけです。

確かに「とはいえ」ということで最悪の事態を想定した訓練も必要です。

私はそれも全体を整理した上でアドバイスしています。

こう考えると事が起こった時の対処方法が取組になりがちで根本的な「そうならないためには」というところが置いて行かれている状態になっているように思います。

これは防犯に限らず色んな場面であるように思います。

1つはその方が分かりやすいし、いかにもやってる感があって評価されやすいからではないかと思います。

「それを評価する社会ってもどうよ」と思いますが。

先日ネットで色々見ていたら「上流思考」という言葉がありましたが、出版された本の解説の中にあって、川の上流、下流という表現を使って考え方について説明されている本のようです。

「上流思考」は「そうならないためにどうするのか」つまり「問題が起こる前に」という考え方で、「下流思考」は起こったことに対応するという今だけの思考ということではないかと思います。

解説を読む限りこんな感じです。

この本の出版を知って「やっとこの時代がきた」と感じました。

本として表に出てきただけですが、それでも良かったと思います。

附属池田小学校の事件が起こった20年前から言い続けてきましたが、今でも目立つやってる感のある方が取り上げられます。

確かにマスコミにしてもその方が絵になりますし、伝えやすいからそうなりがちなのでしょう。

さて、これからどんな時代になるのか、私は私なりに「そうならないために」を大人の責任として考えながら行動していきたいと思います。