「諸塚神社大祭」のお手伝い その2       ~宮崎県諸塚村立岩地区~

2年ぶりに諸塚村立岩地区の「諸塚神社大祭」のお手伝いに行ってきました。
日之影町との境の諸塚村の奥の集落です。

ここに関わりだして10年以上が経ち、集落の方々や祭りなどには通常の言葉では表現できない気持ちがあります。
今回は間に1年おいてのお手伝いでしたので、途中の景色も川の流れも懐かしく感じ、変化も感じながら立岩地区に向かいました。

私は午前中講演が入っていたので、遅れての到着でしたが、到着すると色んな人が声をかけてくださり、「うれしい」んですけど、「うれしい」では足りない喜びを感じました。

座るとすぐに、私がこの地区に最初に関わった時の寿会(諸塚村の老人クラブ)の会長さんが私のところに来られました。
この人は私にアユの食べ方を教えてくださった方で、骨をはずしてではなく、天然のアユは頭からそのまま食べた方がいいと言われるので、
おっしゃる通りに食べたら、これが美味しい!
今までのアユとは違う味が口に広がりました。
話がそれました。

この元会長さんが私に開口一番
「初鹿野さんはずるい」
と言われたのです。
私は「はら~なんでだろう?」と思っていると、元会長さんは
「どこでかくれんぼしていたんですか。」と。
私が去年来なかったことを言われたのでした。
私もお詫びして話を続けると
「この集落が終っていきそうになった時
初鹿野さんが来てこの集落は前を向けた」
と言ってくださったのです。
そういう風に思ってくださってのかと、初めての聞いてうれしいやら感動するやらで、話しながら元会長は何度も何度も私の手を握られました。
公民館長からも「初鹿野さんご指名やったとよ」と
今回【九州つなぎ隊】を呼んでいただいた理由を
話してくださいました。

【九州つなぎ隊】はお手伝いと言っていますが、
それはお互いに“手段”であって、そこで、その時に生まれる
人のつながりこそが大事なのです。
『つながり』は全ての基礎、基盤になるもので、
そこから何かが始まっていくし、深まっていく。

ただの労働力の提供ではないのです。

どちらかがこの仕組みを『労働力の提供』のシステムと考えたり、思ったりしていたら、まずいい関係は出来ませんし、広がりも深まりもありません。

ただきっかけとして「高齢化や過疎化で人手が足りなくて」というのは全く問題ないのですが、そこから「それだけじゃない」と気付いてもらうのがとても大切でそれが“メイン”なのだと思います。

そうなるためにどうするかが、この仕組みづくりの肝なのだと思います。

祭り翌日