神楽の様子は事務局マッキーが書いてくれたので、私はこの神楽で感じたを書きたいと思います。
大人地区の神楽は今年見事に神楽を舞う「ほしゃ」の世代交代がなされました。
こうやって受け継がれてきたんだな~と感慨深い神楽となりました。
日之影町の夜神楽も今は大人地区だけになりました。
継続するには神楽を舞う「ほしゃ」の確保と神楽を支える裏方の確保の両方が必要です。
色々な地域の神楽を見ていると、「ほしゃ」はよそに出ていても帰ってきたりと何とかなっている印象があります。
夜神楽が終わるのはどちらかというと神楽を支える裏方にあるように思います。
いくら「ほしゃ」がいても、裏方が「神楽をやらない」と言って協力がなければ、夜神楽は簡単に終わってしまいます。
続けることは大変ですが、辞めてしまうことは簡単です。
しかし、ここで考えたいのは、今の大変さだけで考えていいのかということです。
神楽が始まったことには意味があると思います。
続けられてきたことにも意味と価値があると思います。
そこに向き合って考えないで、今だけの都合で考えるのは違うののではないか思います。
私は外部の人間として神楽を見てきましたが、集落を維持するための知恵や機能、リスクへの訓練的要素がしっかりと組み込まれています。
これを年に一回やることが、起こり得るリスク対応の訓練や人のつながり、教育や若者のつながりなどになっていることがよく分かります。
祭りは地域力のバロメーターと言われたりもします。
しかし、こういうと「昔はそうだったかもしれないが、今は・・・」という言葉が聞こえてきそうです。
今後人口減少が進みます。今とはまた違った状態になります。以前は日本の人口もこんなに多くありませんでした。今と比べるので人口減少という表現がなされますが、一方で昭和〇〇年レベルに戻るだけという表現をする人もいます。
戻るだけだとしたら、その人口でどうやって集落を維持していたのでしょう。
こういったところに、神楽が続いてきた意味や価値、理由こそが、今後の地域を維持する仕組みを考える上でヒントになるのではないかと考えています。
先人たちは命をかけて「食べれるもの」を探し、人体実験を繰り返して「体にいいもの」にたどり着き、それを伝え後世に残した。
先人たちは命をかけた暮らし中で「必要なこと」「大切なこと」に気付き、それを『忘れないように』と“仕組み”として、仕組みにして失われないように後世に残した。
昔から続いているということ・・・。
1月12日準備の日
1月13日 神楽初日
1月14日 日にちが変わり神楽は続き、今年の神楽が終ります。
先日の神楽お疲れ様でした。最後は、ばて気味でしたが、楽しく過ごせました。
こういう機会がなければ、こんな体験、できないだろうと思います。ありがとうございます。
今回、つなぎ隊の役割、自分の位置を客観的に見つめる良い機会だったと思います。
よく、地方創生には、若者、よそ者、馬鹿者(変わり者)がカギといいます。
自分は、若者ではありませんが、後の二つはあるようです(笑)。
また、参加します。よろしくお願いします。